あるいは、周囲と比べてたかだか相対的に若いということが、なにか無限の時間を保証してくれるとかいう浮かれた夢でもみているかもしれない。それとも「すべてをやる」ことができるという、まだなにひとつやったことがない者だけが抱え込める甘美な思いこみにしがみついているのかもしれない。
しかし我々の命も時間も能力も、あらゆるリソースは有限だ。
無限の可能性とやらは、そのほとんどすべてを手放すことによってしか、何かたったひとつのことを実現するのにさえ役に立たない。
糸井さんが49歳で初めてMacを買い、インターネットにはまり、エロに夢中になってしまったあたりのエピソードがとてもおもしろい。最初、エロとメールに興味があってエロ画像をどんどん収集していたんだそうです。
「考える人 2009年 11月号 [雑誌]」(P26)
そのうちに、自分がこれはとっておこうと思う画像と、とっておいたけどもう捨てていいやと思う画像の違いに興味が湧いてきたんです。自分の欲望についてチェックする機会なんてないですからね。何を素敵だと思っているのか。捨てたくない画像って何か。
そうしたら、とっておきたくなる画像っていうのはわいせつの深度ではなくて、「人」なんだってわかったんですよ。画像を集めているうちに「好きな人」がおのずと浮上してくるんです。オレはこの名前のこの人が好きなんだ、とはっきりしてくる。それがわかったときはびっくりしました。要するに人につくんですよ、エロも。
こっちはまじめですから折々にいま「好きな人」がどうしてるかってチェックするでしょう?そうすると今度は「好きな人」がだんだん年老いていくのもわかるわけです。最近見ないなと思って、あらためて検索してみると、ちょっと前までポルノスターだった人が今はアメリカの地方のストリップ劇場に出ていたりする。来月はネバダ州の何とかいう酒場でその人が踊っているらしい。そこまで追いかけられるわけです。これはもうインターネットならではのことでしたね。
(中略)
ひいきのブルースシンガーを現地まで聴きにいく、なんていうのと同じです。つまり彼女の場合の音楽はボディで、「こういうのっていやらしいでしょ?」っていう提案はつまり彼女の作品でしょう。それを最後まで追いかけて見届けたいと思うかどうか。鈍なまじめさというか、自分の欲望がわかるまでついていくというか、それは相手を追いかけるのと同時に、自分の精神へのストーカーでもあるわけです。だから「ユーザーの欲望が」なんて簡単に言うけど、自分の欲望のありかさえはっきりとわからないで、他人のことなんてもう絶対にわからない、とぼくは思うんですね。
及川奈央
Nao-Oikawa Ero Photo
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013 (4) (via twotimefaster)
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